父親 ( おやじ ) の想い出。  【 ‥僕が、物を作る理由 】

IGU

2014年05月15日 23:57



「壊さないと、作ることが 出来ないんだよー! 」

そう叫んだ、幼い頃の僕。 3つか、4歳か。 多分、その頃の話。


‥別なことを考えていて、ふっと思い出したので、書き留めておきます。



両親と、幼い頃の、僕。


小さな子供の頃の時代は、もちろん僕にも有りましたw。

あまり裕福では無かったし、教育方針なのか、オモチャは買ってもらえません。
親戚にもらった電車のオモチャを、僕はたいそう気に入っていたようです。

それは、楕円形のレールの上を、新幹線が走る形状 ( もちろん、手押しw ) 。

閉じられた輪っかを超えて、もっといろいろなコースを走らせたい!  レールを広げていきたい!!  強く願いました。

だって、パッケージには、そんなイラストが書いてあったから‥。


そこで、お酒を飲んで上機嫌の父に、頼んでみました。
「 レール買ってー! 」

すると、急に父は怒り出し、「 自分で作れ! 」
と、言ったのです。

‥「 俺が子供の頃は、新幹線とか、オモチャなんて無かった 」



なんという理不尽。
あの時の悲しさ怖さは、今でもハッキリ覚えています。


‥実は、僕の親父も変わり者で、なんでも自作する人でした。
もう少し大人になった僕に、ときどき語ってくれた昔話は、まさにサバイバル。

岩手県の山奥出身の父は、子供の頃から手製の罠で動物を捕り、毛皮を売ってたそうです。
罠は針金や木箱を使って、もちろん手作り。

そのお金で銅線を買って、油紙で包んで鉄板に巻きつけてコイルを作り、磁石を水車で回し‥。 中学生くらいの時に、自宅近くの沢で発電して家に電球を灯してたとか‥。

プラスチックやビニール、塗料が手に入らない昔、油紙なら絶縁で防水性も有りそう‥。 その時代を考えると、レベルの高い工作です。


‥思い返すと、あのオヤジ、恐るべしだなぁ‥。



さて、幼児の頃の自分の、お話の続き。

1日くらいレールを睨みながら、車輪がレールを乗り越えて行く方法(イメージ)を、考えてみました。

ダメだ、僕には作れない。


帰ってきた父に、訴えました。

「レールのここが邪魔なの。 ここを壊さないと新幹線がお外に出れないの!」

新幹線が外を走るためには、大好きなオモチャを壊さないとイケナイ事に気が付き、僕は泣き出しました。

「壊さないと、作ることが出来ないんだよー!」


気が付くと、父に頭を撫でられていました。
ふだん、そんな事は絶対にしない人です。

なんか安心した僕は、新幹線のオモチャの事は、その後あまりコダわらなくなったようです。。



‥ついさっき、そんな大昔の事を、ふっと思い出しました。

今、僕に小さな息子がいて、自分で何か工作しようとして、壁にあたって‥。
もし同じセリフを言われたら、僕なら抱きしめるだろうな。


モノがあふれる今、お店で買った物で、十分に暮らして行けます。

おたくの道を追求し、誰かの知的な創作物を、吟味したり、めでたり、消費するのも自由です。

でも、自ら何かを作ったり、オリジナルの情報を発信する側にまわるには、受け身の自分を壊す必要が有ります。
自分の指先を使った工作。 例えばプラモデルでも、どこかを変更しようとしたら、最初の形を壊して作り変えなければ始まりません。


幼い僕が発した、あの言葉は、まさに真理だったのかも。


と、独り合点(ひとりがてん)した、記憶の中の、とある風景のお話し。
本人の僕も、何十年も忘れていた想い出です。


‥そう言えば最近、自分に自我ができた時の事を覚えているか?
みたいなスレを、どこかの、まとめサイトで見かけました。

他人と自分。 取り替えることのできない人生。
幸か不幸なのか、この身体に宿ってしまった、自分という『心』。

誰もが幼いころ、その事実に気が付きます。


僕の自我は、あの頃に形成されたのかな。

その 『 』 は、父の血を、 ‥物づくりへの情熱を、色濃く引き継いでいるようです。


 

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